太宰府天満宮といえば「学問の神様」である菅原道真公を祀っていることで有名。
年間700万人もの参拝客が訪れます。
今回は太宰府天満宮について下記の点を中心にお伝えします↓
- 見どころ(参道・境内・本殿)
- 観光情報
- 歴史
- 人気の理由
- 回り方・参拝方法
- 滞在時間の目安
地図や写真をたくさん使ってお伝えしていきます。
歴史では、なぜ太宰府天満宮がこの地にあるのかを詳しく解説しています。
参拝前に知っておくべき情報をまとめています。
これから行く予定の方は参考にしてください。
Contents
太宰府天満宮周辺の地図
まずは、太宰府天満宮周辺の地図から見ていきましょう。
こちらが太宰府天満宮周辺の地図↑
太宰府駅を降りてすぐの場所は参道になっています。
太宰府駅から境内までは約300m、本殿までは約500mなので余裕で歩いて行ける距離です。
太宰府駅は西鉄で、福岡(天神)駅からは40〜50分。
それでは、各々の見どころを写真を使ってお伝えしていきます。
【太宰府天満宮の見どころ】参道
参道は石畳で両サイドにはたくさんの飲食店やお土産屋さんなどがあります。
太宰府名物の梅ヶ枝餅もこの参道で販売しています。
スターバックス太宰府天満宮表参道店は「自然素材による伝統と現代の融合」をコンセプトに、釘を1本も使わない木組みでスギを2000本も使用しています。
このスターバックスを設計した建築家・隈研吾氏は新国立競技場のデザインも手がけた人です。
参道にあるお店情報は太宰府観光協会のページから確認できます。
参道には昔は太宰府天満宮に代々仕える神主家、社家の屋敷が立ち並んでいましたが、明治に入り社家制度廃止によって商店へと変わりました。
昭和までは1Fで商売、2Fで宿をするお店が多かったそうです。
その為、今でも2F部分に宿の名残が見られる店舗があります。
建物の造りにも注目しながら歩くと、参道をより楽しめるかと思います。
【太宰府天満宮の見どころ】境内の地図
参道を通り、いよいよ境内へ。
境内にも見どころはたくさんあります。
それぞれの特徴をお伝えしていきます。
【太宰府天満宮の見どころ】御神牛
参道から境内に入ってすぐのところには御神牛(ごしんぎゅう)がいます。
こちらが御神牛↑
御神牛とは、寝そべった牛の像。
自分の体の悪い部分を撫でた後、御神牛の同じ箇所を撫でると悪いものが移って良くなると言われています。
腰に痛みのある方は、自分の腰を撫でた後に御神牛の腰を撫でると良いでしょう。
御神牛は境内のあちらこちらに大小、様々なサイズのものがあります。
後述しますが、牛は太宰府天満宮を語る上で非常に重要な生き物になります。
ちなみに、上の御神牛の画像はGoogleストリートビュー↑
Googleストリートビューでは太宰府天満宮の境内の様子を見て回ることができます(本殿だけ閲覧できません)。
知らなかった方は参考にしてください。
【太宰府天満宮の見どころ】池と太鼓橋
池に架かる橋を渡ることで、手や口を洗わなくても身が清めらると言われています。
よって、参拝前にこの橋を渡るようにしましょう。
【太宰府天満宮の見どころ】麒麟の像
この像を見て何か思い浮かべませんか?
実はこの麒麟の像は、あのキリンビールのロゴのモチーフになったと言われています(※諸説あり)。
事の発端は、トーマス・グラバーが麒麟の像に一目惚れしたこと。
明治10年(1877年)に太宰府天満宮を訪れたグラバーは麒麟の像が気に入り、持って帰りたいと言い出したのです。
そこでは断られたものの、どうしても諦めきれなかったグラバーはその後、麒麟の像のレプリカを職人に作らせてグラバー邸に飾っていたそうです。
その頃のグラバーといえば、西南戦争においてアメリカの南北戦争で使われた中古銃を西郷隆盛に売って富を得ていました。
そこで儲かったお金でグラバーは友人が横浜に作ったビール会社を買い取ったのですが、それがキリンビール。
上記の画像の通り、キリンビールのロゴは麒麟の像にそっくりなのですが、明治・大正時代のデザインはもっと似ていたそうです。
尚、この麒麟の像は中国の空想上の動物。
地上に聖人が誕生すると現れると言い伝えられており、博多商人が菅原道真公を聖人に見立てて奉納したものです。
【太宰府天満宮の見どころ】本殿
さあ、いよいよ本殿へ。
私自身、幼少期から太宰府天満宮へは何度も行っているのですが、この楼門を超えた辺りから一気に空気が変わるような気がします。
太宰府天満宮の本殿が創建されたのは919年こと。
その後、1591年に再建され、今では国の重要文化財にも指定されています。
太宰府天満宮が最も混み合うのは正月三が日。
太宰府天満宮には年間700万人もの参拝客が訪れるわけですが、そのうちの200万人はこの三が日に訪れます。
よって、この三日間は必然的に太宰府天満宮周辺は混み合います。
当然のことながら「学問の神様」である太宰府天満宮は受験シーズンも多くの人で賑わいます。
太宰府天満宮には、神社の定番とも言える呼び鈴がありません。
理由はシンプルで、呼び鈴があると列が長くなるため。
参拝に行く際は、覚えていたらその点もチェックしてみてください。
太宰府天満宮の回り方・参拝方法
次は太宰府天満宮の回り方について。
先ほどお伝えしたように、境内の中心部にある心字池に架かる橋を渡ると身が清められると言われています。
その為、「心字池」→「本殿」のルートが好ましいでしょう。
参道から行く場合、ピンク色のルートが理想的な回り方になります↑
手水舎は本殿に入る手前にあります、
参拝方法は二礼二拍手一礼です。
観光時間・滞在時間
ここでは太宰府天満宮での観光時間についてお伝えします。
結論から言うと、滞在時間は人によりけりです。
参拝だけをするのであれば1時間もあれば十分です。
しかし、周辺をじっくりと観光しようとしたら半日から一日はかかります。
改めて太宰府天満宮周辺の地図を見てみましょう。
駅から本殿までは約500メートル・徒歩7分。
前述の見どころ(御神牛、麒麟の像etc)を回ったとしても、1時間もあれば十分に参拝できます。
急いで行けば、もしかしたら30分も時間がかからないかもしれません。
しかし、周辺をじっくりと見て回ろうと思えばもっと時間がかかります。
太宰府天満宮周辺にある主な施設がこちら↓
太宰府天満宮の本殿から近い場所にあり、アジア史から見た日本文化の形成を知ることができます。
大きな博物館なので、じっくりと見ようと思ったら1〜2時間はかかるはず。
宝物殿は本殿のすぐ近くにあり、菅原道真公に由来する宝物や現代アートなどを展示しています。
美しい庭園があり、時の流れを忘れることができます。
しかし、光明禅寺へ行く際は注意点も。
近年、観光マナーの悪い方が多かったようで、撮影禁止になり、営業も不定休のようです。
せっかく行ったのに閉まっていたという情報をネット上でちらほら目にします。
行く際は、開いていたらラッキーくらいに思っておいた方が良いかもしれません。
ゆっくりとご飯を食べたり、お土産をみると時間は結構かかるもの。
よって、太宰府天満宮周辺だけでもじっくりと観光する場合、半日はかかるでしょう。
少し距離はありますが、範囲を広げれば太宰府天満宮周辺には大宰府政庁跡や竈門神社などもあります。
そこまで見て回ろうとしたら、太宰府だけで一日はかかると思います。
【歴史】菅原道真公と太宰府天満宮
太宰府天満宮を語る上で最も重要な人物、それは御祭神である菅原道真公。
彼がどのような人物だったかを知っているか否かで、参拝する際の気持ちもかなり違うはず。
ここでは菅原道真公がどのような人物だったのか、そしてなぜこの地に太宰府天満宮が誕生したのかをお伝えします。
菅原道真公は西暦で言うと、845年に生まれ903年に没しました。
逝去後1100年が経った今でも後世にこのように敬われるとはすごいですね。
菅原道真公は学者の出身でありながら、右大臣という高い地位まで上り詰めた人物。
これだけでも菅原道真公が如何に賢い人物だったかが伺えます。
それが故、「学問の神様」と呼ばれているわけです。
しかし、菅原道真公は陰謀に巻き込まれ、京の都を追われて大宰府へ左遷させられました。
そして、辛い謹慎生活の末、失意の内にここ太宰府で亡くなるのです。
菅原道真公が最後に住んでいたのは南館(なんかん)という建物でした。
この南館があった場所には現在、榎社(地図の赤丸部分)があります↑
榎社は太宰府天満宮からは南西に2km程離れた所。
菅原道真公は死ぬ前に「自分が死んだら遺体を牛車で運び、止まったところを墓にせよ」と言い残していました。
その遺言通り、遺体を牛車に乗せて運んだところ、ある地点で牛が止まって動かなくなりました。
これは菅原道真公の意志に違いないと、そこにお墓が作られることに。
話はここで終わりません。
菅原道真公の死後、京の都では落雷や疫病などの災難が度々起こるようになります。
相次ぐ災難に、巷では左遷させられた菅原道真公の祟りではないかと噂されるようになるのです。
このことから菅原道真公は天神様として祀られるようになり、前述のお墓の場所に平安を祈る社殿が作られたのです。
そう、この社殿が建てられた場所こそが太宰府天満宮なのです。
知らなかった方は驚かれるかもしれませんが、太宰府天満宮の本殿の真下には今も菅原道真公が眠っています。
明治までは本殿に宿直(とのい)という箇所が設けられており、そこには24時間体制で人が常駐し、菅原道真公の遺体を守っていたそうです。
全国に天満宮は1万2000社もありますが、お墓詣りができるのは太宰府天満宮だけです。
前述の通り、境内には御神牛がたくさんいるのですが、全てが寝そべった状態でいる理由は牛がこの地で止まったからです。
つまり、菅原道真公の遺体を乗せた牛車がここで止まった為、ここにお墓、そして太宰府天満宮が誕生したわけです。
牛が止まった場所(太宰府天満宮の本殿がある場所)は当時、クスノキが生い茂る原生林でした。
その為、今でも本殿近くには残ったクスノキを数本見ることができます。
ちなみに、菅原道真公は牛と不思議な縁があり、承和12年(846年)の丑年生まれでした。
なぜ太宰府天満宮は人気なのか?
年間700万人もの参拝客が訪れる太宰府天満宮。
なぜそんなに人気なのでしょうか?
最もたる理由は「学問の神様」であることでしょう。
誰もが高い学問を身につけたいと願うもの。
その学問において太宰府天満宮は全国て最も有名な場所なので、人が集まるのは自然の流れです。
その他にも、人気を集める理由としてストーリー性が挙げられると思います。
前述の通り、菅原道真公は学者から右大臣という超エリートでしたが、晩年は陰謀に巻き込まれて太宰府へ左遷され、失意の内に亡くなります。
しかし、死後も多くの人に敬われ、自身の墓があった場所は後に太宰府天満宮へと生まれ変わるのです。
「優秀」であった他に、このように「再生」したことが多くの人の関心を引き寄せるのかもしれません。
ちなみに、菅原道真公のストーリーは今も継続中です。
菅原道真公の子孫は、今でも太宰府天満宮と深い関わりがあるのです。
なんと太宰府天満宮の宮司は菅原道真公の子孫なのです。
驚くことなかれ、2019年に40代目の宮司に就任した西高辻信宏氏は現役で東京大学に合格したそうです。
菅原道真公の秀でた学力は死後1100年が経った今でも受け継がれているのです。
まとめ
重要な点を地図を使って振り返っていきましょう。
太宰府駅から出てすぐの場所は参道になっており、賑やかです。
心字池に架かる橋を渡ると心を清める効果があるため、本殿に行く前に通るようにしましょう。
観光時間に関してですが、こればかりは人によりけりです。
時間がない方は30分〜1時間もあれば参拝可能。
しかし、太宰府天満宮周辺もじっくりと観光したい場合は半日から一日はかかります。
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