福岡県の久留米市と東京都の東久留米市には「久留米」という珍しい地名がつきます。
これは単なる偶然なのでしょうか?
両市には何らかの関係があるのでしょうか?
地名の由来と共に紐解いていきます。
久留米と東久留米の場所
まずは両市の場所から確認しましょう。
地図で見ると両市は直線距離で約870kmも離れています↑
結構な距離ですね。
位置関係でいうと、東久留米市は久留米市の東側にあります。
これは単なる偶然なのでしょうか?
久留米市と東久留米市の関係は?
結論から言うと、両市の名前には関係があります。
それは東久留米市のHPにも記載されています↓
昭和45年(1970年)に市制が施行されますが、福岡県久留米市と行政的な混同を避けるためや、当時の町民から親しまれていた駅名の「東久留米」を希望する声も多く、現在の市名が決定されました。
参照:東久留米市HP
東久留米市という名前に至った経緯には様々な理由がありますが、その中の一つに既存の久留米市との行政的な混同を避ける目的があったのです。
久留米市の名前の由来
ここで気になるのが両市の名前の由来。
「久留米」という文字は地名以外ではそうお目にかかることはありません。
どちらかというと珍しい漢字。
どのような経緯で「久留米」という地名がついたのでしょうか?
こちらが久留米市の名前の由来↓
久留米の名は、室町時代に「久留目」で見え、戦国期に「久留米」と記すようになった。
久留米の由来には、玖留目神の神名説、来目皇子の人名説、呉部の機織り説などあるが、「クルメ(包め)」もしくは「クルメク(転く)」の意味で、大きく蛇行する筑後川に包み込まれた地を表していると考えられる。データ参照:語源由来辞典
久留米といえば筑後川。
久留米市の北側には筑後川が蛇行するように流れています。
名前の由来には諸説あるようですが、この筑後川による「クルメ(包め)」が有力な説で一番しっくりときます。
東久留米の名前の由来
続いては東久留米市の名前の由来について↓
明治22年(1889)に久留米村が誕生しましたが、その名称は市内を流れる「久留米川」から付けられたというのが一般的な説です。
現在の黒目川は、江戸時代の文献や石碑に「久留目川」・「来目川」・「来梅川」と書かれており、明治政府が編纂した『皇国地誌』には「久留米川」と記されています。
このように、普段親しまれていた川の名前が村名になるほど東久留米は水の豊かな場所なのです。データ参照:東久留米市HP
何と東久留米市の名前の由来も川でした。
両市は「久留米」という同じ地名を持つばかりか、地名の由来が川という共通点まであったのです。
黒目川は東久留米駅の北側を流れており、筑後川と同じ一級河川です。
ちなみに川の名前の由来は、湧水が多く「水を汲める」ことからきているそうです。
まとめ
久留米市が誕生したのは1889年(明治22年)。
それから81年後の1970年(昭和45年)に東久留米市が誕生しました。
名前の由来には諸説ありますが、久留米市と混同しないように「東」が付けられたとされています。
実は、このように既存の地名との混同を避けるために方角を冠した地名は他にもあります。
例えば、日本ハムの新しい本拠地エスコンフィールドHOKKAIDOがある「北広島市」は「広島市」との混同を避けるために「北」が付けられています。
方角が付いている地名には何らかの意味が込められているので、そこを紐解いていくと新たな発見・驚きがあるかもしれません。