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名島橋(福岡市東区)に関する都市伝説3つ|1933年完成の幅24mの橋

名島橋(福岡市東区)

福岡市東区の多々良川にかかる名島橋

1933年完成という歴史ある建造物であることは去ることながら、幅24メートルの白いアーチ状の橋は見る者の目を奪います。

そして、この名島橋には色々とが多いんです。

これだけ大きく目を引く建物なのに、作られた理由がはっきりしてないのです。

名島橋は福岡のローカル番組などで時々取り上げられることがあるのですが、作られた理由に関しては、「〜とも言われている」「諸説あり」等、明言を避けられること多いんです。

そして、名島橋が建てられたとされる理由は一つだけでなく複数あります。

まさに都市伝説のような感じですね。

今回はその中から度々話題に出てくる3つの説についてお伝えします。

戦車が通れる道

それでは早速、名島橋が作られた説についてお伝えしていきます。

よく言われるのが、軍事用道路説です。

名島橋の着工は1930年、完成は1933年。

この時期の世界情勢は非常に不安定なものでした。

当時の日本といえば、中国侵攻を視野に入れていた時期。

そのため、戦車が通れる広くて頑丈な橋が必要とされ、名島橋が作られたとも言われています。

名島橋(福岡市東区)こちらが幅24メートルの名島橋↑

確かにこれだけスペースがあれば戦車は通れそうですね。

ちなみに、白い石で覆われて空からも目立つ名島橋は、第二次世界大戦中、空襲を避けるために真っ黒に塗られていた時期もあるそうです。

飛行機の滑走路

軍事用道路説と同じくらい取り上げられるのが、飛行機の滑走路説

実は名島橋が建設されていた頃、近くには名島水上飛行場というものがありました。

そのため、名島橋は非常時の滑走路として使われる説があったのです。

名島橋(福岡市東区)確かにこれだけの幅と長さがあれば、小型機であれば滑走路として使えそうです。

しかし、当の名島水上飛行場は名島橋が完成した翌年の1934年に閉鎖していることから、この説は少し分が悪いかもしれませんね。

災害時の安全性

そして、最後にお伝えする説が災害時の安全性

実は、名島橋の建設案が出る数年前に日本ではとても大きな災害が起きました。

それは1923年の関東大震災

関東大震は、死者・行方不明者が約10万5,000人も出た大災害。

この関東大震災が起こった際、幅の狭い橋に多くの人が殺到し、被害が拡大したとも言われています。

そのような惨事を繰り返すまいと、幅の広い橋が作られたという説もあります。

まとめ

名島橋が作られた理由をまとめるとこうなります↓

  • 軍事用道路
  • 飛行機の滑走路
  • 災害時の安全性

あくまでも全て説なのですが、車社会ではなく馬車が走っていた時代に、上記の条件全てを満たす橋があったということ自体がすごいですね。

いきなり幅24メートルの橋ができたものだから、地元の人たちはさぞかしびっくりしたことでしょう。

個人的には、名島橋の建設理由は曖昧なままで、今のように色んな説があった方が良い気がします。

以上、名島橋に関する都市伝説についてでした。