福岡藩は黒田氏を藩主とし、47万3000石という全国7番目の石高を誇る大藩でした。
がしかし、それだけ大きな藩でありながら、福岡藩は全国で一番早く廃藩したのです。
その背景には、”ある事件”が大きく関与していると言われています。
今回はその詳細をお伝えします。
福岡藩は日本で最も早く廃藩された
前述の通り、福岡藩は47万3000石という全国7番目の石高を誇る藩でした。
江戸時代、全国に300近くの藩があったことを考えると、そのすごさが伺えます。
しかし、明治政府が廃藩置県(1871年)を行なった際、福岡藩は最も早く廃藩されたのです。
明治政府が全国的に廃藩置県を行なったのが7月14日であるのに対し、福岡藩は7月2日といち早く廃藩が行われたのです。
福岡藩が偽札製造?
なぜ福岡藩だけ早く廃藩されたのでしょうか?
そこにはある事件が関与していると言われています。
それは太政官札贋造事件(1870年)。
太政官札贋造(だじょうかんさつがんぞう)とは、平たく言えば偽札製造のことです。
さらっと言ってしまいましたが、藩がニセ金を作るなんてすごいことですね。
なぜ福岡藩は偽札を作ったのでしょうか?
そこには深刻な財政難がありました。
福岡藩は戊辰戦争(1868-69)による多額の出費で財政難に陥っていたのです。
そこで始めたのが、太政官札の贋造。
太政官札とは、明治政府が1868年に発行した初の全国通用紙幣のこと。
福岡藩は、自分たちで作った偽札を全国で使い、米などに換えてたのです。
福岡藩への処分
がしかし、このような買い付けが長く続くはずもなく、偽札製造はバレてしまいました。
政府は福岡藩へ役人を派遣すると、贋造に関わった人を逮捕し、証拠を押収しました。
そして、1871年7月2日に下記のような処分が下されたのです↓
- 藩首脳5人を斬首
- 藩知事(黒田長知)の罷免
かなり厳しい処分ですね。
この結果、福岡藩は全国よりも早く廃藩となったのです。
まとめ
以上、福岡藩が全国でいち早く廃藩された理由についてでした。
廃藩理由には、このような事件が大きく関わっていたんですね。
ちなみに、この時代、偽札製造というのは他の藩でも行われていました。
福岡藩だけこのような大きな制裁が下された理由には、大藩だったため、他の藩への見せしめ要素もあったと言われています。