今回は水城と大野城の違いを下記の点を中心にお伝えします↓
- 作られた目的・理由
- 形
- 場所
どちらとも「城」とつきますが、その形は大きく異なります。
基本情報&場所
まずは基本情報からお伝えします。
水城と大野城の場所がこちら↑
どちらとも大宰府政庁を守るために設置されました。
大宰府政庁とは7世紀後半から約500年に渡り九州を統括し、外交・軍事・経済を担った行政機関のこと。
663年、現在の韓国中西部にて白村江(はくそんこう)の戦いが起こりました。
この戦いで倭(日本)と百済の連合軍は唐・新羅の連合軍に大敗。
その後、大陸が日本へ攻め込んでくる可能性(上の地図の赤い矢印のルート)があった為、湾岸にあった那津宮家(大宰府政庁の前身)を内陸へ移設し、大宰府政庁を置きました。
ここに大宰府政庁が置かれた理由は、山に囲まれており防衛力が高いとされたからです。
大野城とは?
後ろに見えるのが四王寺山(しおうじやま)。
この四王寺山に大野城は築城されました。
大野城は山の上にあるので遠くまで見渡せ、防衛拠点として重宝されました。
水城とは?
同じ防衛拠点でも大野城と水城はその形が大きく異なります。
上の図のように、水城には濠までありました。
水城は日本で最初に築造された国家レベルの防衛施設。
土塁の長さは約1.2kmにも及び、高さは約9mもありました。
画面中央部分の緑の部分が水城です。
このような壁が1.2kmも繋がっていました。
上の写真で言うと、桜の裏側にある緑の部分が水城になります。
まとめ
以上、水城と大野城の違いについてでした。
重要な点をまとめると、下記の通りになります↓
- 水城も大野城も大宰府政庁の防衛のために作られた
- 大野城は山にある防衛拠点
- 水城は地上にある壁
どちらとも名前に「城」が入っており防衛拠点なのですが、このように形状・役目は大きく異なりました。
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