今回は8月ということで原爆についてお伝えしたいと思います。
既にご存知の方も多いとは思いますが、実は1945年に原爆は小倉に投下される可能性があったのです。
それもかなり高い確率で。
なぜ小倉が原爆投下の目的地になったのか?
なぜ小倉に原爆が落ちなかったのか?
を振り返っていきます。
実際の原爆投下日・場所
まずは実際に起きた原爆投下日と場所から。
今更お伝えする必要もないかともいますが、詳細は下記の通り↓
- 1945年8月6日 午前8時15分 広島に原爆投下
- 1945年8月9日 午前11時2分 長崎に原爆投下
当初の原爆投下予定地
ここからは8月6日、9日に原爆が投下される予定だった場所についてお伝えします。
詳細は下記の通り↓
8月6日
- 第一目的地 広島
- 第二目的地 小倉
- 第二目的地 長崎
8月9日
- 第一目的地 小倉
- 第二目的地 長崎
表を見て頂いたらわかる通り、小倉は8月6日、9日共に原爆投下の目的地だったのです。
9日に関しては、第一目的地でした。
なぜ小倉に原爆は投下されなかったのか?
なぜ小倉が狙われたのか?
詳しく解説していきます。
小倉に原爆が投下されなかった理由
アメリカ軍は原爆を投下する際に一つ重要な取り決めをしていました。
それは目視投下です。
例え晴れの日でも、空から目的地を目視できなければ投下地を変更することになっていたのです。
8月6日に関しては第一目的地の広島が快晴で目視できた為、予定通り原爆は広島に投下されました。
しかし、8月9日に関しては第一目的地だった小倉が雲や霞で遮られており、市街地を目視できなかった為、第二目的地だった長崎へと変更されたのです。
つまり、この日、小倉の空が澄み渡っていれば、福岡に原爆が投下されていたことになるのです。
小倉が狙われた理由
ここで気になるのが小倉が原爆投下地として選ばれた理由です。
当時の小倉には大きな陸軍造兵廠がありました。
造兵廠とは、兵器工場のことです。
そのため、小倉は投下目的地に選ばれていたのです。
小倉陸軍造兵廠が気になられる方はコチラ(Wikipedia)をご覧ください。
ちなみに、小倉陸軍造兵廠は今でいう北九州市小倉北区にありました。
小倉に原爆が投下されなかった都市伝説
ここからは小倉に原爆が投下されなかった更なる理由をお伝えします。
センシティブな内容のため、都市伝説程度に捉えてください。
前述の通り、8月9日に小倉に原爆が投下されなかった理由は、雲や霞で遮られており市街地を目視できなかったため。
しかし、これは自然に発生したものではなく、人為的に作られたという説もあるのです。
情報源は、2014年の毎日新聞の記事。
原爆当日、小倉に投下されることを危惧した八幡製鉄所の職員が黒煙を空に上げて幕を張っていたというのです。
煙幕を張る方法は、輪切りにしたドラム缶に入れたコールタールを燃やすというもの。
8月9日、八幡製鉄所の職員は空襲警報と同時に(予め用意していた)複数のドラム缶に着火して黒煙を上げたそうです。
これが直接の原因かどうかはわかりませんが、結果的に小倉市街地を目視できなかったアメリカ軍は目的地を長崎へと変更したのです。
この話は、長崎の被爆者への配慮から長年語られることはなかったそうですが、戦後70年を機に事実を知る人が少なくなったことから当時の職員が証言したとのことです。
繰り返しになりますが、これが直接のきっかけで投下地が変更になったかどうかは定かではありません。
そのような証言もあったのだと参考程度に捉えられた方が良いかと思います。
まとめ
以上、原爆が小倉に投下されていたかもしれない話でした。
北九州といえば、近年では皿倉山から見える夜景が新日本三大夜景に選ばれ注目を集めた時期もありました。
もし小倉に原爆が投下されていたならば、確実に皿倉山から見える夜景は変わっていたことでしょう。
それにしても、黒煙を上げて原爆が小倉に投下されなかったという話(あくまでも説ですが・・・)は気になります。
黒煙を上げること自体は数人いれば可能。
もし、この黒煙が直接の原因で投下地が本当に変更されたのであれば、数人の取った行動で歴史が変わったことになります。
私たちが知らないだけで、まだまだこのような情報はたくさんありそうですね。