福岡と佐賀の複雑な県境
以前、当サイトでお伝えした福岡と佐賀の複雑な県境。
その昔、筑後国(現在の福岡県)と肥前国(現在の佐賀県)は、領土を巡って度々争っていました。
そこで採用された国境を決める方法が、まさかの神頼み。
柴(小さい雑木)を筑後川に流し、その流路で国境を決めたのです。
ここで決まった国境は今でも受け継がれています。
よって、筑後川に面する福岡と佐賀の県境は非常にクネクネして複雑なのです。
複雑な県境の詳細記事はこちら↓
大野島と大託間島【地図】
上記の特集の中で一際目立つ存在が、とある島。
それは大野島(福岡)と大託間島(佐賀)。
2つの島の構造は地図で見ると、こうなっています↓
前述のように、福岡と佐賀の県境は、筑後川に流された柴(小さい雑木)によって決められました。
その流路で、大野島(福岡)と大託間島(佐賀)に分かれたのです。
しかし、その後、2つの島の間には土砂が堆積し、現在は陸続きの状態になっています。
実は、この2つの島に関しての記事を書いている途中、ある感情が芽生えてきました。
それは、
実際に現地に行ってみたい
という感情。
ということで、先日、大野島と大託間島へ行ってきました。
県境を中心にじっくりと見てきたので、早速その様子をお伝えします。
大野島と大託間島【現地の写真】
福岡と佐賀の県境はどうなっているのだろうか?
そう思いながら、島に入ること数分。
それは突然やってきました↓
目の前には佐賀県佐賀市の案内板が。
実は、この案内板の真下には小さな用水路があり、そこを境に福岡と佐賀に分かれているのです。
つまり、写真を撮っている場所は福岡県、奥に見える家は佐賀県ということになります。
ここを境に、通う学校であったり、県で受けられるサービスが違ってくるのです。
因みに、住所でいうと福岡県は「大川市大字大野島」、佐賀県は「佐賀市川副町大字大託間」となります。
福岡と佐賀の県境がハッキリと認識できる場所は、島の東側にもあります↓
島の東側にはグラウンドがあるのですが、ご覧のように途中で福岡と佐賀に分かれています。
一見、同じ敷地内にあるグラウンドに見えますが、福岡は「筑後川総合運動公園」、佐賀は「佐賀市立川副運動広場」という名称になります。
県境からわずか50メートルほどの場所に、佐賀県の少年野球チームのバスがあったのは印象的でした。
グラウンドに行くと、このように福岡と佐賀の県境標が置かれていました。
余談ですが、遠くから見ると最初はお墓に見えました。
誰かが置いたのでしょう。
県境には、県境標の他、このように石も積まれていました。
一瞬、「もしかして2つの島の人は、仲が悪いの?」と思ってしまいましたが、そのようなことはないでしょう(おそらく・・・)。
グラウンドの真横を流れる筑後川。
筑後国(現在の福岡県)と肥前国(現在の佐賀県)が国境を決める際は、ここを柴(小さい雑木)が流れて行ったことでしょう。
そして、両国の人はその行き先をハラハラドキドキしながら見ていたはず。
大野島と大託間島は文化が違う?
上記に説明したグラウンドから程近い場所に松枝神社があります。
松枝神社は佐賀側。
神社の案内板には、島の歴史が書かれていました↓
興味深い点は、ちょうど真ん中あたりにある内容
一つの島が二県にまたがり、近世まではそれぞれ佐賀藩、柳川藩に属していたこともあって、歴史、民族、言語等が大いに異なっている。
現代に生きる私は、福岡県と佐賀県といえばお隣の県・仲の良い県というイメージしかありませんが、昔はきっとギスギスしていたのでしょう。
ここまで近い距離にある二つの島が、言語まで異なるとは驚きです。
私が高校時代にお世話になった担任の先生は、佐賀出身でした。
もし、福岡と佐賀が昔のようにギスギスしていたら、その先生は福岡で教鞭を振るってなかったかもしれません。
そう考えると私の進路や人生も少なからず変わっていたことでしょう。
以上、気になっていた福岡と佐賀の県境に行った話でした。