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田原坂|電話ボックスはどこ?|西南戦争の激戦地|熊本最大の心霊スポット

田原坂 魔のカーブ

先日、初めて田原坂へ行ってきました。

田原坂といえば、熊本最大の心霊スポットとして有名。

当初は純粋に西南戦争の歴史を知ろうと、田原坂公園内にある田原坂西南戦争資料館だけへ行く予定だったのですが、自然な流れ(?)で気づくと心霊スポットを回っていました。

もしかしたら、貴重な情報(特に電話ボックス)もあるかもしれないので、今回はその時の様子を写真と共にお伝えします。

田原坂MAP

田原坂 田原坂公園 西南戦争こちらが田原坂周辺の地図↑

今回はちょっとやばいと感じた赤文字の

  • 田原坂
  • 電話ボックス
  • 七本官軍墓地

 

を中心にお伝えします。

田原坂公園田原坂西南戦争資料館などに関してはお伝えすると長くなりそうなので割愛します。

その点、ご了承ください。

田原坂

まずは田原坂からお伝えします。

田原坂 田原坂公園 西南戦争改めて、先ほどの地図をチェック↑

オレンジ色の箇所が田原坂の入り口で、矢印の方向に向かって坂になっています。

田原坂 魔のカーブこちらは田原坂へ入った直後の道↑

画面左側には「危険! 魔のカーブ」の文字が。

この「魔のカーブ」という標識は事故多発地帯でよく見られるものだそうです。

標識の通り、この後、田原坂では数多くのカーブが存在。

しかし、場所が場所だけに「魔のカーブ」という文字を見ると色んなことを連想してしまいました。

ここ田原坂は西南戦争最大の激戦地

わずか1.5km程の坂周辺で、官軍と薩摩軍合わせて4,000人余りが死傷した場所なのです。

そう、この坂は歴史的な場所であると同時に心霊スポットでもあるのです。

それを知っていたが故、「魔のカーブ」という文字を目にして色々と考えさせられるものがありました。

田原坂 魔のカーブこちらは田原坂の様子↑

ご覧の通り、所々に急なカーブがあるので見通しが非常に悪いです。

実は、このカーブは意図的に設計されたもの。

この急カーブを考案したのは、熊本城を築城した加藤清正公

当時の田原坂は北側(福岡方面)から熊本城へと続く唯一の拠点でした。

加藤清正公はこの重要な道の見通しを悪くすることで、熊本方面へ攻めにくくしたのです。

ちなみに、加藤清正公が亡くなったのが1611年。

西南戦争が勃発したのが1877年。

加藤清正公が亡くなって260年以上経った時に、予期せぬ形で田原坂が激戦地になったことになります。

西南戦争時、田原坂は熊本へ大砲を運べる唯一の道だった為、避けて通れぬ場所でした。

田原坂 魔のカーブ田原坂の途中に一の坂、二の坂、三の坂とあるのですが、ここは特に激戦地だった場所。

各々の地点には写真のように看板が立てられています。

私は特に霊感があるわけではないのですが、田原坂に入った瞬間、何かどんよりとした空気を感じました。

明るい時間帯でそのように感じるくらいなので、夜に行ったらものすごい雰囲気だと思います。

電話ボックス

田原坂といえば電話ボックスが有名。

坂を登ったところに電話ボックスがあり、その周辺で数々の怪奇現象が起こると言われています。

電話ボックスは現在どうなっているのでしょうか?

実は、この電話ボックスは既に撤去されています。

今は田原坂に電話ボックスはありません。

以前、電話ボックスが設置してあった場所が地図の赤丸部分↑

田原坂を登ると小さな駐車スペース(Googleマップには「旧駐車場」と表記されている)があるのですが、電話ボックスはその近くにありました。

田原坂 電話ボックスがあった場所赤枠部分が以前、電話ボックスが設置されていた場所↑

田原坂 電話ボックスがあった場所画面左側の道は田原坂↑

電話ボックスは田原坂をちょうど登り終えた場所にありました。

田原坂 電話ボックスがあった場所少し離れた場所から見た全体の様子↑

この周辺は開けており、明るかったこともあり、特に怖さは感じませんでした。

田原坂公園 電話ボックス電話ボックスは田原坂公園の駐車場にも以前はあったようですが、こちらも現在は撤去されています。

上の写真の赤枠部分が以前、電話ボックスがあったっ場所↑


地図の赤丸部分が田原坂公園の駐車場

ちなみに、上記の写真は全て、以前ここに電話ボックスがあったとは知らずに何となく撮ったもの。

家に帰って色々と調べ、昔ここに電話ボックスがあったことを知りました。

ネットで田原坂の電話ボックスについて調べると、最新の情報があまり載っていなかったので役に立つかと思い、今回この記事を書くことにしました。

気になっていた方は参考にしてください。

七本官軍墓地

最後にお伝えするのが七本官軍墓地

ここへは当初行く予定がなかったのですが、田原坂西南戦争資料館を見学した際にその存在を知り、何か感じるものがあったので急遽行くことに。


地図の赤丸部分が七本官軍墓地

田原坂公園からは少し離れた場所にあります。

七本官軍墓地はその名前からも分かる通り、西南戦争で戦死した政府軍関係者300人余り(軍人276名、軍夫10名、警察官14名)が埋葬されています。

重要なことをお伝えしておくと、自分が霊に取り憑かれやすい体質だと思う人は絶対に行かない方が良いです。

七本官軍墓地 田原坂七本官軍墓地には小さな駐車場があり、ご覧のように墓地へと続く標識があります↑

私が行った時は他に誰もおらず。

明るい時間帯であったにも関わらず、どんよりとした雰囲気。

正直に言うと、何か嫌な予感がしたので、この時点で帰ろうかと思いました。

しかし、せっかくここまで来たのでという気持ちが強く、向かうことに。

七本官軍墓地 田原坂七本官軍墓地の雰囲気↑

ご覧のようにたくさんのお墓が並んでいます。

七本官軍墓地 田原坂七本官軍墓地の入口↑

この周辺は他とは全く空気が違い、かなりどんよりとした感じ。

前述の田原坂を遥かに超える不気味さがそこにはあり、結局、墓地の中へ入ることはありませんでした。

正確に言うと、入れませんでした。

入った瞬間に何かが変わりそうな予感がしたからです。

明るい時間帯でここまでの雰囲気なので、夜は相当だと思います。

後で知ったことですが、田原坂周辺でここ七本官軍墓地が一番心霊現象が多い場所なんだとか。

家に帰って、YouTubeでこの七本官軍墓地について色々と調べたのですが、夜にここを訪れているYouTuberたちはほぼ全員、何らかの怪奇現象(物が倒れたり、変な音が鳴ったり、人影が映ったりetc)が起こっていました。

明るい時間帯といえども現地に行き、その異質さを感じた者からすれば、これらの怪奇現象はヤラセではなく本当に起こっていると思います。

あの場所で夜に何も起こらないわけがないです。

繰り返しになりますが、取り憑かれやすいと思う人は絶対に行かない方が良いです。

私自身、ここ七本官軍墓地へ行くことは二度とないでしょう。

まとめ

田原坂周辺について重要な点をまとめると下記の通りになります↓

  • 田原坂はとにかくカーブが多い
  • 電話ボックスは現在、撤去されている
  • 七本官軍墓地には行かない方が良い

 

ちなみに、田原坂周辺には今回ご紹介した3地点以外にもたくさんの慰霊碑などがあります。

正直、”何でこんなにあるの?”と驚くくらいに立派な慰霊碑が複数あります。

そこまで建つということは何かを落ち着かせる為?

色々と考えさせられた田原坂への旅でした。