今回のテーマは明太子。
明太子といえば福岡を代表する食べ物。
福岡旅行の帰りにお土産で明太子を買って帰る人も多いことでしょう。
このように「明太子といえば福岡」なわけですが、実は明太子の起源は福岡ではないのです。
そればかりか明太子の名前の由来は海外にあったのです。
今回は、その気になる明太子の歴史を下記の点を中心にお伝えします↓
- 起源・発祥
- 名前の由来
- 福岡が有名な理由
- 元祖はどこ?
明太子誕生までには、色々な時代背景もありました。
明太子のルーツは朝鮮?
現在、日本で知られる明太子と言えば、スケトウダラの卵を塩漬けし、それを唐辛子や昆布入りの調味液に漬け込み発酵させたもの。
実は、この”スケトウダラの卵を加工して食べる”という習慣は、朝鮮半島で17世紀ごろから既に広まっていたと言われています。
日本で明太子が本格的に知られるようになったのが1900年代のことなので、かなり昔の話です。
なぜ朝鮮にあった食文化が日本へ広まったのか?
そこには樋口伊都羽(ひぐちいづは)という人物の存在が大きく関わってきます。
東京生まれの樋口氏は若くして朝鮮に渡り、1907年頃に元山(ウォンサン/北朝鮮)でスケトウダラ漁業に従事。
その際、スケトウダラの卵を塩と唐辛子に漬け込み販売したのです。
これは従来の加工方法とは違うものでした。
そして、これが大ヒット。
たちまち他の業者も真似するように。
その勢いはすごく、朝鮮半島を飛び出し、日本・中国・台湾などにも輸出されるようになったのです。
なぜ明太子は福岡で有名に?
明太子を朝鮮から日本へ紹介したのは日本人。
がしかし、ここからどうやって福岡の名産品になったのでしょうか?
ここにもキーパーソンがいます。
それは川原俊夫・千鶴子夫妻。
実は、川原夫妻は戦前、釜山(韓国)に住んでいたのです。
戦後、釜山から福岡へ引き上げてきた川原夫妻は、食料品店を創業。
何か良い目玉商品はないかと考えていた時に、釜山で食べた明太子を思い出すのです。
そして、あの明太子を日本人の口に合うようにと改良。
10年もの歳月をかけ、やっとで日本人好みの明太子を開発したのです。
その明太子は、塩・醤油・昆布などを使用した調味液に漬け込んだもので今まであった明太子とは違うものでした。
それが「味の明太子」。
そう、川原夫妻が創業した食料品店とはあのふくやのこと。
ふくやこそ日本の元祖明太子業者なのです。
この味の明太子が大ヒット。
その後、川原夫妻が製造方法を惜しみなく周りにも公開した為、福岡では明太子業者が増え、明太子文化が広まっていったのです。
そして、明太子を全国区にしたのが1975年の山陽新幹線「東京駅〜博多駅」開通。
福岡へのアクセスが便利になったことにより、明太子が日本各地に広まっていくのです。
「明太子といえば福岡」と呼ばれる背景には、このような物語があったのです。
明太子の名前の由来
前述の通り、明太子はもともと朝鮮にあった食習慣。
その後、日本人の手によって日本に広められたわけですが、起源は「明太子」という名前にも色濃く残っています。
なぜ明太子と呼ぶのでしょうか?
実は語源も朝鮮。
韓国ではスケトウダラのことを明太(ミョンテ)と呼びます。
これが樋口氏がスケトウダラの卵を塩と唐辛子に漬け込み販売していた頃に日本語風に「メンタイ」となり、現在の「明太子(めんたいこ)」へとなったのです。
まとめ
以上、明太子の歴史についてでした。
重要な点をまとめると、下記の通りになります↓
- スケトウダラの卵を加工して食べる習慣はもともと朝鮮が発祥。
- 朝鮮に渡った樋口伊都羽氏が改良し、アジアに広まる。
- 釜山から福岡へ引き上げた川原夫妻が日本人好みの味に改良。
- 川原夫妻が創業したふくやの味の明太子が大ヒット。
- 以後、福岡で明太子業者が増える。
明太子が福岡で有名になった理由は、川原夫妻が日本人好みの味に改良したこと、更には製造技術を惜しみなく公開したことが大きいのです。
この事実を知っていれば、今度、お土産で明太子を選ぶ際、ふくやに対する見方が変わりそうですね。
ちなみに、ふくやは店頭の他、公式オンラインショップからも購入することができます。
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