今回は福岡を象徴する建物である福岡タワーが誕生するまでの経緯をお伝えします。
福岡タワーと言えば、アジア太平洋博覧会(市制施行100周年イベント/1989年に開催)の際に建設されたものですが、当初の計画にはなかったようです。
”あること”がきっかけで急遽作られるようになったんだとか。
今回はその経緯を画像等を使ってお伝えします。
福岡タワーの基本情報
福岡タワーはシーサイドももち(福岡市早良区)にあるランドマークタワー。
高さは234m。
1988年1月に着工し、1989年3月に完成しました。
日本で一番高い海浜タワーとしても知られています。
時期によってライトアップの色やデザインも異なってきます。
アジア太平洋博覧会の構想図
前述の通り、福岡タワーは1989年に開催されたアジア太平洋博覧会に合わせて建設されました。
当時は元より現在も多くの人に愛される福岡タワーなのですが、なんと当初の計画では建設される予定はなかったそうです。
それは下記の構想図からも見て取れます。
見比べると、当初の構想図に福岡タワーがないのがわかります。
福岡タワーができた理由は?
なぜ当初の計画にはなかった福岡タワーが建設されることになったのでしょうか?
実はあのエッフェル塔の存在が大きく影響していました。
先日『福岡のトリセツ』という本を読んだのですが、そこに福岡タワーができるまでの経緯が記載されていました↓
ところで、以外に知られていないのが、昭和62(1987)年3月の会場基本計画には、シンボルタワーである福岡タワーはない。福岡タワーの建設は、当時の福岡市長(昭和61(1986)年12月就任)の回想によると、姉妹都市であるフランス・ボルドー市を訪問した際、博覧会の話題になり、1889年のパリ万国博覧会で建設されたエッフェル塔がパリのモニュメントタワーになった・・・というボルドー市長の発言から、タワーの建設を思い立ったのだという。
『福岡のトリセツ(昭文社)』P112
福岡タワー構想は、福岡市長とボルドー市長との会話の中で生まれたのです。
エッフェル塔が完成したのが1889年3月15日、福岡タワーが完成したのがそれからちょうど100年後の1989年3月17日。
共に大きなイベントのモニュメントタワーとして建設されたことから、不思議な縁を感じるものです。
まとめ
以上、福岡タワーができた経緯についてでした。
改めて、アジア太平洋博覧会の構想図を見てみましょう。
やはり福岡タワーがある方が華やかですね。
アジア太平洋博覧会が終わって30年以上経ちますが、当時モニュメントタワーとして建てられた福岡タワーは今も残っており、福岡のシンボルとして多くの人に親しまれています。
そのことから、あの日、福岡市長とボルドー市長が会談を行ったことは福岡にとって大きなイベントだったと言えるでしょう。