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広島と長崎の原爆の違い|どちらが被害・威力が大きかった?|燃料

長崎 原爆

今回は8月ということで原爆についてお伝えしたいと思います。

日本は世界で唯一の被爆国

1945年8月6日に広島8月9日に長崎に原爆が落とされました。

同じ原爆ですが、その威力や被害は大きく違うものでした。

今回はその点を中心にお伝えしていきます。

広島と長崎の原爆の違い

下記に広島と長崎の主な原爆の違いについて情報をまとめました↓

  広島 長崎
投下日 1945年8月6日
午前8時15分
1945年8月9日
午前11時2分
核燃料 ウラン プルトニウム
破壊威力 約16キロトン 約21キロトン
死亡者数 約14万人
(当時の人口は約35万人)
約7.4万人
(当時の人口は約24万人)

注目すべきは核燃料破壊威力の違い。

広島ではウランが使われたのに対し、長崎ではプルトニウムが使われました。

破壊威力を見ると分かる通り、長崎に落とされた原爆は広島よりも約1.3倍も威力があるものでした。

しかし、人口の差こそあれ、長崎は広島よりも2倍近くも死亡者数が少なかったのです。

なぜこのようなことが起こったのでしょうか?

長崎の原爆で死亡者数が少なかった理由

原爆の破壊威力に比べ長崎で死亡者数が少なかった理由として地形が平坦ではなく、稲佐山と丘陵があったことが挙げられます。

つまり、山と丘が壁になって原爆から多くの人を救ってくれたのです。

以前、NHKの「ファミリーヒストリー」にて長崎が生んだスター福山雅治さんの放送回(2021年4月26日放送)があったのですが、福山さんのお父様は原爆当日は12歳で爆心地からわずか3kmの場所にいたそうです。

お父様は防空壕に入って命を取り留めたのですが、爆心地から当時住んでいたエリアまでの間に丘陵があった点が大きかったと番組でも紹介されていました。

原爆は小倉に落とされる予定だった?

既にご存知の方も多いかと思いますが、8月9日の原爆投下目的地は福岡県の小倉でした。

しかし、その日、小倉は雲がかかっており視界が悪かった為、第2候補地の長崎へと急遽予定が変更されたのです(原爆を落とす際は目視投下が鉄則だった)。

小倉が第1候補地だった理由は、陸軍造兵廠があったのに加え、土地が平坦だったからです。

小倉に原爆が投下される予定だった?原爆当日の詳細|福岡と原爆

小倉に原爆が落とされなかった理由の詳細が気になられる方はこちらの記事もご覧ください↑

まとめ

以上、広島と長崎の原爆の違いについてでした。

  広島 長崎
投下日 1945年8月6日
午前8時15分
1945年8月9日
午前11時2分
核燃料 ウラン プルトニウム
破壊威力 約16キロトン 約21キロトン
死亡者数 約14万人
(当時の人口は約35万人)
約7.4万人
(当時の人口は約24万人)

改めて表で見比べると、長崎の破壊威力に対する死亡者数の少なさが目立ちます。

稲佐山と言えば長崎の人にとっては特別な場所な訳ですが、そこには過去に祖先が命を守ってもらったという感謝の気持ち等も込められているのかもしれません。