天神から薬院方面へ一直線に1.3km伸びる渡辺通り。
実は、この渡辺通りの名前の由来は人名だったことをご存知でしたか?
そう、渡部さんが通り名の由来なんです。
今回は渡辺通りの場所の他、渡辺さんという人名が通り名になった由来をお伝えします。
渡辺通りの場所
まずは渡辺通りの場所から。
渡辺通りは、天神橋口交差点〜渡辺通り1丁目交差点までの1.3kmのことです。
地図を見たらわかる通り、福岡で最も栄えている場所です。
渡辺通りの写真
一直線に伸びていることがよくわかります。
個人的には、ここから見る渡辺通りが一番好きです。
遠くに天神が見えます。
この周辺には福岡市営地下鉄七隈線「渡辺通駅」、ホテルニューオータニ博多などがあります。
西へ5分ほど歩くと、西鉄天神大牟田線「薬院駅」もあります。
路面電車が名前に大きく関係
ここからが本題。
なぜ、そのような大通りに渡辺さんという人名がついているのでしょうか?
そこにはかつて福岡市内を走っていた路面電車が大きく関係しています。
昔、福岡市内には
- 福博電気軌道
- 博多電気軌道
という2社の路面電車が走っていました。
同じ福岡市内を走るものの、この2社には大きな違いがありました。
それは出資者。
福博電気軌道は、福岡市が計画したものの財政難で頓挫。
しかし、東京や大阪の財界人が支援し、1910年3月に開業することができました。
その一方、博多電気軌道は福岡の財界人が立ち上げた路線でした。
つまり、福博電気軌道が福岡市、東京や大阪の財界人によって作られたのに対し、博多電気軌道は福岡の財界人が作った路線となります。
博多電気軌道は行政や他の財界人からの後押しがなかったため、用地買収でかなり苦労したようです。
そこで活躍したのが渡辺與八郎(よはちろう)。
何と渡辺與八郎は私費を投じて、用地買収を行ったのです。
その結果、博多電気軌道は1911年10月1日に開業することができました。
渡辺與八郎とは?
渡辺與八郎は呉服商「紙與(かみよ)」を営んでいました。
福岡の財界人で、九州大学の福岡への誘致にも大きく関係したすごい人なんです。
しかし、残念なことに渡辺與八郎は46歳という若さで急死するのです。
渡辺與八郎の命日は、1911年10月29日。
そう、博多電気軌道の開業から1ヶ月も経たないうちにこの世を去ったのです。
渡辺與八郎の福岡への功績を後世に残そうではないか。
そのような思いから、渡辺通りという通り名が誕生したのです。
ちなみに、当初、渡辺通りというのは通称だったようですが、昭和に入って正式名称となりました。
まとめ
以前、福岡に一度しか来たことがないという名古屋の友人に、福岡で何が一番印象に残ったか聞いたところ、少し考えて「渡辺通り」という答えが帰ってきました。
初めは冗談かと思っていましたが、本当に一番印象に残ったそうです。
友人にとって、あれだけ大きな通り名に人名がついていたことは衝撃的だったようです。
そう言われてみると、昭和通り、明治通りなど元号のついた通りは全国にありますが、人名のついた通りはあまり聞かないですね。
福岡の発展に尽力した人の名前が、通り名として後世に残る。
そう思うと、渡辺通りという名は色んな意味でインパクトがありますね。