9月14日、福岡に衝撃が走った。夏の風物詩・大濠花火大会が2018年をもって終了となったのだ。一報は西日本新聞の朝刊にて発表された。
今回は花火大会が終了に至った経緯、そして花火大会の歴史について取り上げていきたい。
大濠花火大会終了の理由
安全対策が限界
終了に至る最も大きな理由が「安全対策の限界」である。大濠花火大会の観客は年々上昇。近年は40万人もの観客がいた(2018年は43万人)。その為、安全対策が限界で継続困難と判断されたようだ。
西日本新聞の朝刊では
「会場の収容人員をはるかに超える観覧希望者が殺到している」
と記されていた。
その他、最近では下記のような問題もあった。
花壇が踏み荒らされる
2018年においては、子供達が植えた大濠公園内にあるヒマワリの花壇が踏み荒らされる事態も発生していた。
景観問題
大濠花火大会は、より良い席で観覧しようと場所取りも熾烈だった。すごい時には2、3日前からシートを引いて場所取りする人もいた。
その為、景観を乱すと問題になることが度々あった。2016年からは場所取り解禁の時刻を大会当日(8月1日)の午前0時と設定する事態にまで発展した。
福岡県の人口増加も関係?
近年の大濠花火大会の観客増には、福岡県の人口増加も大きく影響しているだろう。福岡県の人口は1970年から2015年までの45年間ずっと右肩上がりで上昇。その数なんと約107万人。
今回の花火大会終了の陰には、このような人口増も関係しているかもしれない。
大濠花火大会の歴史
大濠花火大会は1949年に戦没者の鎮魂と戦後復興を目的に始まった。67年〜78年に一時大会は中断したものの、79年復活以降はほぼ毎年開催されていた。
ホークスがダイエーからホークスに生まれ変わった2005年にはホークスをイメージする花火を打ち上げるなど、地元密着型の花火大会だった。
因みに、59年花火大会の観客数は20万人だったそうだ。その時と比べ、現在は倍以上に膨れ上がった。
あまりにも多くなった観客数。安全対策を考えると、残念だが仕方のない決定かもしれない。
福岡タワーから見た大濠花火大会