福岡市西区に属する能古島。
能古島は姪浜港からフェリーでわずか10分の場所。
そんなこともあり、福岡市民にとっては気軽に行ける島としても親しまれています。
写真は百道浜から見た能古島↑
このように能古島は福岡市内の至る場所から眺めることができます。
今回のテーマは、この能古島の名前について。
実は「能古島」という漢字になったのは1941年のこと。
その歴史は80年と決して古くありません。
それまで島はどのように呼ばれていたのでしょうか?
能古島の名前の由来
能古島についての書で一番古いのは奈良時代のもの。
日本最古の歌集『万葉集』に能古島のことが詠まれています。
しかし、この時は「能古」ではなく、「能許(のこ)」でした。
その後、「のこ」と呼び名は同じであるものの、「能挙」「能巨」などいろんな漢字が当てはめられました。
そして江戸時代には「残島」として統一されるように。
縁起が悪い名前だった?
しかし、その「残島」という名は1941年に変更されます。
そう、それが今に残る「能古島」です。
なぜ、残島という名は変更されたのでしょうか?
それは縁起が悪かったからです。
「残島」では時代に取り残される感じでイメージが悪いということで「能古島」へと変更になったのです。
ちなみに、この漢字が変更された1941年というのは、能古島が早良郡(当時)から福岡市へ吸収合併されるタイミングでした。
まとめ
以上、能古島の漢字変遷についてでした。
このように縁起が悪いからという理由で、町や都市の漢字が変更されるのは他でもよく見られることです。
有名なのが大阪。
以前、大阪は、「大坂」という漢字を使っていました。
しかし、「坂」が「土に返る」、つまり死を連想させイメージが良くないという理由で、今の「大阪」に変更になったのです。
残島も、このように縁起が悪いということで変更されたのです。
でも、読み方がずっと変わらないということは、地元民に慣れ親しまれているということでしょうね。
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