かつて西鉄ライオンズ、ダイエーホークスの本拠地として盛り上がった平和台球場。
平和台球場は都心にあり、交通の便が良いことでも有名でした。
現在、平和台球場はどうなっているのでしょうか?
平和台球場の歴史も含めてお伝えします。
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平和台球場の歴史
平和台球場があった舞鶴公園入口には、今でもこのように記念碑が設けられています▲
まずは平和台球場の歴史から。
平和台球場の起源は「スポーツによる平和の台に」との思いを込め、1948年に福岡国体を開催した平和台総合運動場が起源となります。
1949年に運動場の一部を球技場に作り変え、平和台球場が誕生しました。
その後、1950年に西鉄クリッパース(パリーグ)と西日本パイレーツ(セリーグ)2チームの本拠地へ。
翌51年に、この2チームが合併し西鉄ライオンズ(パリーグ)が誕生。
その後、西鉄ライオンズは3年連続日本一を達成するなど強豪チームへ。
しかし、そのライオンズは78年に移転。
福岡を離れることになりました。
それから10年以上、平和台球場は主のいない時期を過ごします。
平和台球場に変化が訪れたのは、1989年のこと。
福岡に新たな野球チームダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)が誕生し、平和台球場は再び賑わいを取り戻します。
しかし、そのダイエーホークスも新しくできた福岡ドームへ移転(ダイエーホークスが平和台球場を使用したのはわずか4年)。
その後、再び、主を失った平和台球場は1997年に取り壊されました。
取り壊しのきっかけは、外野スタンド下に眠っていた平安時代の迎賓館である鴻臚館の遺跡発掘調査によるものでした。
平和台球場跡地は今?
現在、平和台球場跡地はどうなっているのでしょうか?
こちらは2019年春の平和台球場跡地の様子↓
ご覧の通り、球場跡地は見事に何もありません。
この日はたまたまイベントをやっておりテントがあったのですが、普段は何もない状態。
天気の良い日は、芝生の上に横になる人の姿も見られます。
小さな子供たちは、ここに昔、野球場があったことを知らないのではないでしょうか?
平和台球場跡地は、今や完全に福岡市民の憩いの場。
この地でかつて3万人以上が熱狂していたのを想像できないくらい、落ち着いた雰囲気になっています。