日本を代表する菓子メーカーである森永製菓と江崎グリコ。
実はこの二社の創業者は佐賀出身だったことをご存知でしたか?
二人の創業者は、今は銅像となり同じ場所に並んでいます。
佐賀の偉人モニュメント
既にご存知の方も多いかと思いますが、佐賀駅周辺には佐賀にゆかりのある偉人25名の等身大モニュメントがあります。
モニュメント像の詳細・場所はコチラ。
佐賀駅周辺の通りを歩く際にチラチラ目にはしていたのですが、先日、久しぶりに佐賀に行った際、何気なく目にしたモニュメントの前で足が止まってしまいました。
それがこちらの像↑
二人とも何やら箱を持っています。
何の箱だろう?
そう思って近づいてみたところ、二人が手に持っていたのはキャラメルの箱。
何と森永製菓と江崎グリコの創業者の像だったのです。
日本を代表する菓子メーカーの創業者が九州出身だったとは驚きです。
像の写真と案内板の表記を下記にまとめてみました↓
森永製菓の創業者・森永太一郎




森永太一郎 1865-1937
森永製薬の創業者。伊万里市出身。1888(明治21)年に渡米し、足かけ12年にわたる修業で西洋菓子の製法を習得。1899(明治32)年に帰国し、現在の東京都港区虎ノ門付近に、今日の森永製薬の前身となる森永西洋薬子製造所を開設。まだ和菓子が主流の時代に西洋菓子の普及に奔走した。1914(大正3)年、49歳の時に紙サック入りの「ポケット用ミルクキャラメル」を発売し、爆発的な人気を呼ぶ。日本初の一貫製造によるミルクチョコレートをはじめ、飲用ココア、マリービスケットなど数々のロングセラー商品も生み出した。
森永製菓の創業者はどういう人だったのか?
興味が湧いて色々と情報収集していたら、幼少期から青年期にかけて結構、波瀾万丈な人生を送られたようですね。
気になる方はWikipediaに詳しく載っていますので、そちらもご覧になってください。
江崎グリコの創業者・江崎利一




江崎利一 1882-1980
江崎グリコの創業者。佐賀市出身。37歳の時に有明海につながる早江川河畔で漁師が牡蠣の煮汁を捨てる様子を見て、かつて読んだ薬業新聞の「牡蠣に栄養素グリコーゲンが大量に含まれている」という記事を思い出し、グリコーゲンを使用した栄養子の開発に着手。1921(大正10)年に佐賀から大阪へ地点を移し、合名会社江崎商店を設立。この翌年、40歳の時に栄養菓子グリコを三越で発売。グリコの顔として知られるゴールインマークは、八坂神社(佐賀市)の境内でかけっこしている子供たちの姿からヒントを得て考案された。
地図の赤丸部分が、あの有名なゴールインマークが浮かんだとされる蓮池八坂神社↑
場所は福岡との県境付近にあります。
蓮池八坂神社の近くにある江崎利一出生の地には石碑が建っています↑
まとめ
以上、森永製菓と江崎グリコの創業者についてでした。
あれだけ有名な菓子メーカーの創業者が同時代に佐賀に生を受けていたとは驚きですね(森永太一郎は1865年、江崎利一は1882年生まれ)。
今後、この二社のお菓子を食べる際、創業者が佐賀出身であることを思い出すと味わい深さが少し変わってくるかもしれません。