博多駅には大きく分けて二つの出入り口があります。
それは「博多口」と「筑紫口」。
特に略されることもなく、多くの人にその名称通りで長年親しまれています。
私もその中の一人。
物心ついた頃から「博多口」「筑紫口」と呼んでいました。
ここで気になるのが名前の由来。
なんとなく「博多口」の名前の由来は分かるのですが、「筑紫口」の名前の由来って分からない人は結構多いのではないでしょうか?
福岡の情報を今まで1,000記事以上書いてきたのですが、恥ずかしながら私自身も筑紫口の名前の由来を知りませんでした。
調べたら、「ああ、そうだったのね」と呆気に取られる内容でした。
ということで、今回は「博多口」「筑紫口」の名前の由来を特集します。
知らなかった方、気になっていた方は参考にしてください。
地図を使ってわかりやすく解説していきます。
「博多口」「筑紫口」名前の由来は?
いきなり答えからお伝えします。
名前の由来がこちら↑
「博多口」は旧博多市街側にある出入り口だった為、「筑紫口」は旧筑紫郡側にある出入り口だった為、そのような名前になりました。
1975年3月に山陽新幹線が博多駅まで延伸開業したのですが、その際に市政だよりで公募が行われ、「博多口」「筑紫口」がそれぞれの出入り口で最多票を獲得して正式名称として決定しました。
ちなみに、上記の地図の「旧博多市街」と「旧筑紫郡」のエリアはおおよそです。
正確なものではありませんので、その点ご注意ください。
旧筑紫郡に関してはWikipediaにて、当時のエリアが表記されています。
旧博多市街とは?
「博多」と聞くと、現在の博多駅周辺を思い浮かべる方も多いかと思いますが、昔の博多といえば今の博多駅よりも北側にありました。
それが旧博多市街です。
実は、今ある博多駅の駅舎は3代目。
それまでは現在の出来町公園(祇園駅近く)に博多駅はありました。












以前の博多の中心地である旧博多市街を向いた出入り口なので「博多口」という名称になったというわけです。
旧筑紫郡とは?
次は旧筑紫郡について。
筑紫郡と言えば、2018年10月1日に那珂川町が市制施行して那珂川市となり、消滅した郡。
平成最後の郡消滅としても注目を浴びたわけですが、この筑紫郡は昔はかなり広範囲でした。
旧筑紫郡は1896年に行政区画として発足したのですが、その当時は下記の区域を含んでいました↓
- 福岡市博多区の全域
- 福岡市南区の一部(平和、寺塚、柳河内、皿山、花畑、屋形原、鶴田以東)
- 福岡市東区の一部(馬出・東浜)
- 春日市
- 大野城市
- 太宰府市
- 筑紫野市
- 那珂川市
つまり、現在で言う博多駅周辺から筑紫野市あたりまでの広範囲が筑紫郡だったことになります。
筑紫口はその筑紫郡方面にある出入り口だった為、「筑紫口」となったわけです。
まとめ
以上、博多駅の「博多口」「筑紫口」の名前の由来についてでした。
前述の通り、博多口に関しては、何となくその名前の由来が分かったのですが、筑紫口に関しては驚きでした。
現在、「筑紫」と聞くと、筑紫野市など博多駅からは少し離れた場所をイメージするのですが、当時は博多区自体が筑紫郡という地名だったのです。
それ故、福岡市内には「筑紫」と名のつく学校や施設が今も数多く残っています。
ちなみに、福岡県民は「筑紫」という漢字を見ると反射的に「ちくし」と読むのですが、他県民は「つくし」と読む人が結構多いようです。
その点が気になられる方は下記の関連記事もご覧ください。
「筑紫」の読み方について詳しく解説しています。














